あきひとしんのう 意味
- 【彰仁親王】
(1846-1903) 伏見宮邦家親王の第八王子。維新後,東伏見宮と称し,さらに小松宮と改称。軍事総裁・陸軍大将・元帥などを務めた。
- あきひと-しんのう ―シンワウ 【彰仁親王】 (1846-1903) 伏見宮邦家親王の第八王子。維新後,東伏見宮と称し,さらに小松宮と改称。軍事総裁・陸軍大将・元帥などを務めた。
- としひとしんのう 【智仁親王】 (1579-1629) 安土桃山・江戸初期の皇族。誠仁親王(陽光院)の第六皇子。桂宮(八条宮)第一代。桂離宮を造営,学問にも秀で,細川幽斎から古今伝授を受けて後水尾天皇に伝えた。
- すけひとしんのう 【典仁親王】 (1733-1794) 江戸中期の皇族。閑院宮第二代。直仁親王の王子。光格天皇の父。1884年(明治17)慶光天皇と追号された。 →尊号事件
- たかひとしんのう 【幟仁親王】 (1812-1886) 有栖川宮第八代。韶仁(ツナヒト)親王第一皇子。議定官,神祇官事務局総督などを歴任。和歌・書道に優れ明治天皇の師範となった。
- たるひとしんのう 【熾仁親王】 ⇒有栖川宮熾仁親王(アリスガワノミヤタルヒトシンノウ)
- としひと-しんのう ―シンワウ 【智仁親王】 (1579-1629) 安土桃山・江戸初期の皇族。誠仁親王(陽光院)の第六皇子。桂宮(八条宮)第一代。桂離宮を造営,学問にも秀で,細川幽斎から古今伝授を受けて後水尾天皇に伝えた。
- ありすがわのみやたるひとしんのう 【有栖川宮熾仁親王】 (1835-1895) 有栖川宮第九世。1868年,王政復古とともに総裁職となり,戊辰戦争では東征大総督として官軍を率いて東下。
- ひさあきら-しんのう ―シンワウ 【久明親王】 (1276-1328) 鎌倉幕府八代将軍。後深草天皇第六皇子。1289年将軍となるが1308年,京都に還った。
- すけひと-しんのう ―シンワウ 【典仁親王】 (1733-1794) 江戸中期の皇族。閑院宮第二代。直仁親王の王子。光格天皇の父。1884年(明治17)慶光天皇と追号された。 尊号事件
- たかひと-しんのう ―シンワウ 【幟仁親王】 (1812-1886) 有栖川宮第八代。韶仁(ツナヒト)親王第一皇子。議定官,神祇官事務局総督などを歴任。和歌・書道に優れ明治天皇の師範となった。
- たるひと-しんのう ―シンワウ 【熾仁親王】 有栖川宮熾仁親王
- ひさあきらしんのう 【久明親王】 (1276-1328) 鎌倉幕府八代将軍。後深草天皇第六皇子。1289年将軍となるが1308年,京都に還った。
- あぼ-しんのう ―シンワウ 【阿保親王】 (792-842) 平城天皇の皇子。810年薬子(クスコ)の変に連座して大宰権帥に左遷された。のち許されて帰京し,子の行平・業平に在原姓を賜った。
例文
- 彰仁親王(あきひとしんのう)は、伏見宮邦家親王の第8王子として弘化3年(1846年)に誕生。
- 彰仁親王妃頼子(あきひとしんのうひ よりこ、嘉永5年6月18日(1852年8月3日) - 大正3年(1914年)6月26日)は、日本の皇族。