あさくら-よしかげ 意味
読み方:
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- 【朝倉義景】
(1533-1573) 戦国大名。孝景(タカカゲ){(2)}の子。初名延景。織田信長としばしば交戦,姉川の戦いで大敗。のち信長に一乗谷を攻撃されて自殺し,朝倉氏は滅亡した。
- あさくらよしかげ 【朝倉義景】 (1533-1573) 戦国大名。孝景(タカカゲ){(2)}の子。初名延景。織田信長としばしば交戦,姉川の戦いで大敗。のち信長に一乗谷を攻撃されて自殺し,朝倉氏は滅亡した。
- あさくらとしかげ 【朝倉敏景】 ⇒朝倉孝景(アサクラタカカゲ)(1)
- あさくら-としかげ 【朝倉敏景】 朝倉孝景
- あさくらとしかげじゅうしちかじょう 【朝倉敏景十七箇条】 朝倉敏景(孝景(タカカゲ))の制定した家訓。家臣団の統制・人材登用・節約・民政の心得など一七条の規定よりなる。制定年代は未詳。「朝倉孝景条々」「朝倉英林壁書」とも。
- あさくら-としかげ-じゅうしちかじょう ―ジフシチカデウ 【朝倉敏景十七箇条】 朝倉敏景(孝景(タカカゲ))の制定した家訓。家臣団の統制・人材登用・節約・民政の心得など一七条の規定よりなる。制定年代は未詳。「朝倉孝景条々」「朝倉英林壁書」とも。
- あさくらたかかげ 【朝倉孝景】 (1)(1428-1481) 室町時代の武将。教景のち敏景,さらにそのあと孝景を名乗る。斯波(シバ)家の三老臣の一人。応仁の乱には初め西軍,のち東軍に転じ,1471年越前守護となり,一乗谷に築城。 (2)(1493-1548) 戦国大名。越前守護。一乗谷四代城主。領国は富裕で朝廷に絹一万匹を献上した。
- あさくら-たかかげ 【朝倉孝景】 (1) (1428-1481) 室町時代の武将。教景のち敏景,さらにそのあと孝景を名乗る。斯波(シバ)家の三老臣の一人。応仁の乱には初め西軍,のち東軍に転じ,1471年越前守護となり,一乗谷に築城。 (2) (1493-1548) 戦国大名。越前守護。一乗谷四代城主。領国は富裕で朝廷に絹一万匹を献上した。
- あさくら 【朝倉】 福岡県中部,朝倉郡の町。旧宿場町。斉明天皇の仮宮(朝倉橘広庭宮(アサクラノタチバナノヒロニワノミヤ),俗称朝倉宮)の伝承地。((歌枕))「―や木の丸殿(マロドノ)にわがをれば名のりをしつつ行くはたが子ぞ/新古今(雑中)」 ; 【朝倉】 姓氏の一。
- あさくら-やま 【朝倉山】 福岡県甘木市にある山。((歌枕))「―,よそに見るぞをかしき/枕草子 13」
- さくらあさ 【桜麻】 麻の一種。花の色から,あるいは種子をまく時期からともいうが実体は不詳。俳諧では夏の季語とされた。さくらお。 「畑打音やあらしの―(芭蕉)/花摘」
- さくら-あさ [3] 【桜麻】 麻の一種。花の色から,あるいは種子をまく時期からともいうが実体は不詳。俳諧では夏の季語とされた。さくらお。「畑打音やあらしの―(芭蕉)/花摘」
- さくら-あさ-の 【桜麻の】 (枕詞) さくらおの
- あさくらやま 【朝倉山】 福岡県甘木市にある山。((歌枕))「―,よそに見るぞをかしき/枕草子 13」
- あさくら-ふみお ―フミヲ 【朝倉文夫】 (1883-1964) 彫刻家。大分県生まれ。東京美校教授。自然主義的彫刻を得意とし,帝国美術院会員・帝室技芸員となり官展界に重きをなした。代表作「墓守」「島津斉彬公像」など。
- さくらあさの 【桜麻の】 ⇒さくらおの