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あづち-じだい 意味

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  • [4] 
    【安土時代】

    安土桃山時代の前半。織田信長が天下の実権を掌握していた時代。1568年から82年の本能寺の変までをいう。

  • あづちじだい    【安土時代】 安土桃山時代の前半。織田信長が天下の実権を掌握していた時代。1568年から82年の本能寺の変までをいう。
  • あづち-ももやま-じだい     [1] - [5] 【安土桃山時代】 織田信長・豊臣秀吉が政権を掌握していた時代。すなわち,信長の入京(1568年)から秀吉の死(1598年)まで,または関ヶ原の戦いの1600年までの約30年間。信長の居城安土城と秀吉の居城伏見城(桃山城とも)にちなむ名称。全国的な軍事統合が進むとともに,兵農分離,石高制が確立して,日本社会の中世から近世への移行が推進された。文化的には社寺や城郭建築
  • あづちももやまじだい ①-    【安土桃山時代】 織田信長・豊臣秀吉が政権を掌握していた時代。すなわち,信長の入京(1568年)から秀吉の死(1598年)まで,または関ヶ原の戦いの1600年までの約30年間。信長の居城安土城と秀吉の居城伏見城(桃山城とも)にちなむ名称。全国的な軍事統合が進むとともに,兵農分離,石高制が確立して,日本社会の中世から近世への移行が推進された。文化的には社寺や城郭建築,障壁画に多くの傑作を生み,
  • あづち    【安土】 滋賀県蒲生郡の町。琵琶湖東岸に臨む。織田信長が築城した安土城跡(特別史跡)がある。
  • あづち-じょう    ―ジヤウ 【安土城】 滋賀県蒲生郡安土町にあった城。織田信長が1579年築城。五層七重の天守を中心とした近世城郭の草創期のもの。本能寺の変の折に焼亡。
  • あづちじょう    【安土城】 滋賀県蒲生郡安土町にあった城。織田信長が1579年築城。五層七重の天守を中心とした近世城郭の草創期のもの。本能寺の変の折に焼亡。
  • あづち-ほうろん    ―ホフ― [4] 【安土法論】 安土宗論
  • あづちしゅうろん    【安土宗論】 1579年,織田信長の命によって安土の浄厳院で行われた浄土宗と日蓮宗の宗教論争。浄土宗が勝利を収めた。日蓮宗弾圧を企図したものという。安土法論。
  • あづちほうろん    【安土法論】 ⇒安土宗論(アヅチシユウロン)
  • あづち-しゅうろん     【安土宗論】 1579年,織田信長の命によって安土の浄厳院で行われた浄土宗と日蓮宗の宗教論争。浄土宗が勝利を収めた。日蓮宗弾圧を企図したものという。安土法論。
  • じだい    【地代】 〔「ちだい」とも〕 (1)土地を借りている者が,その持ち主に払う金銭その他の物。借地料。ちだい。 (2)地価。 ; 【次代】 次の時代。次の世代。 「―を担う若人」 ; 【地大】 〔仏〕 四大・五大の一。世界の構成要素の一つで,堅さと保持を特質とする。ちだい。 ; 【自大】 尊大に構えること。誇り高ぶること。 「夜郎(ヤロウ)―」「一毫も矜高―の心なく/
  • いちじだい    【一字題】 (1)和歌で,月・雪・花・雨・風など漢字一字を題としたもの。 (2)雑俳で,漢字一字を前句題にして付句するもの。
  • えどじだい    【江戸時代】 徳川家康が関ヶ原の戦い(1600年)に勝利して,征夷大将軍に任ぜられ江戸に幕府を開いた1603年から徳川慶喜が大政奉還した1867年までの265年間。徳川時代。近世。幕藩体制時代。
  • えど-じだい     [3] 【江戸時代】 徳川家康が関ヶ原の戦い(1600年)に勝利して,征夷大将軍に任ぜられ江戸に幕府を開いた1603年から徳川慶喜が大政奉還した1867年までの265年間。徳川時代。近世。幕藩体制時代。