いとくてんのう 意味
- 【懿徳天皇】
記紀所伝の第四代天皇,大日本彦耜友尊(オオヤマトヒコスキトモノミコト)の漢風諡号(シゴウ)。安寧天皇の第二皇子。
- いとく-てんのう ―テンワウ 【懿徳天皇】 記紀所伝の第四代天皇,大日本彦耜友尊(オオヤマトヒコスキトモノミコト)の漢風諡号(シゴウ)。安寧天皇の第二皇子。
- あんとくてんのう 【安徳天皇】 (1178-1185) 第八一代天皇(在位 1180-1185)。高倉天皇の皇子。名は言仁(トキヒト)。母は平清盛の娘建礼門院徳子。二歳で即位。平宗盛に擁せられて,西国に落ち,壇ノ浦で平氏一門とともに入水した。
- こうとくてんのう 【孝徳天皇】 (597?-654) 日本書紀で,第三六代天皇(在位 645-654)。天万豊日尊(アメノヨロズトヨヒノミコト)の漢風諡号(シゴウ)。名は軽皇子(カルノオウジ)。茅渟王(チヌノオオキミ)の王子。大化改新に加わり,難波長柄豊碕宮(ナガラトヨサキノミヤ)を都とした。
- すとくてんのう 【崇徳天皇】 (1119-1164) 第七五代天皇(在位 1123-1141)。名は顕仁(アキヒト)。鳥羽天皇第一皇子。鳥羽上皇の圧力で異腹の近衛天皇に譲位,新院と称した。のち保元の乱を起こし,讃岐(サヌキ)に配流され,同地で没した。墓を白峰(シラミネ)陵という。讃岐院。
- にんとくてんのう 【仁徳天皇】 記紀の所伝で第一六代天皇,大鷦鷯尊(オオサザキノミコト)の漢風諡号(シゴウ)。応神天皇第四皇子。都は難波。記紀の構想では,神武天皇から応神天皇の古代を承けて,記紀成立現在に直接つながる時代の始発の天皇として位置づける。
- もんとくてんのう 【文徳天皇】 (827-858) 第五五代天皇(在位 850-858)。名は道康(ミチヤス)。仁明天皇の第一皇子。母は藤原冬嗣の女(ムスメ)順子。
- しょうとくてんのう 【称徳天皇】 (718-770) 第四八代天皇(在位 764-770)。孝謙天皇の重祚(チヨウソ)。道鏡を重用し,専制を許した。
- じゅんとくてんのう 【順徳天皇】 (1197-1242) 第八四代天皇(在位 1210-1221)。名は守成。後鳥羽天皇の皇子。父上皇とともに承久の乱を起こして佐渡に流され,同地で没した。著に「八雲御抄」「禁秘抄」「順徳院御記」がある。
- にんとくてんのうりょう 【仁徳天皇陵】 仁徳天皇の陵墓に比定される日本最大の前方後円墳。大阪府堺市にある。全長486メートル。百舌鳥耳原中陵(モズノミミハラノナカノミササギ)。大山(ダイセン)古墳。
- にんとくてんのう-りょう ―テンワウ― 【仁徳天皇陵】 仁徳天皇の陵墓に比定される日本最大の前方後円墳。大阪府堺市にある。全長486メートル。百舌鳥耳原中陵(モズノミミハラノナカノミササギ)。大山(ダイセン)古墳。
- すとく-てんのう ―テンワウ 【崇徳天皇】 (1119-1164) 第七五代天皇(在位 1123-1141)。名は顕仁(アキヒト)。鳥羽天皇第一皇子。鳥羽上皇の圧力で異腹の近衛天皇に譲位,新院と称した。のち保元の乱を起こし,讃岐(サヌキ)に配流され,同地で没した。墓を白峰(シラミネ)陵という。讃岐院。
- にほんもんとくてんのうじつろく 【日本文徳天皇実録】 六国史の第五。一〇巻。871年藤原基経らが撰して中絶,879年菅原是善・都良香らが完成。文徳天皇一代の歴史を漢文・編年体で記述したもの。文徳実録。
- こうかくてんのう 【光格天皇】 (1771-1840) 第一一九代天皇(在位 1780-1817)。名は兼仁(トモヒト)。閑院宮典仁(カンインノミヤスケヒト)親王の皇子。父に太上天皇の尊号を奉上しようとして老中松平定信に反対された。 →尊号事件
- ごすざくてんのう 【後朱雀天皇】 (1009-1045) 第六九代天皇(在位 1036-1045)。名は敦良(アツナガ)。一条天皇の第三皇子。母は藤原道長の女(ムスメ)上東門院彰子。在位中は藤原氏の全盛期で,頼通が関白であった。
- すざくてんのう 【朱雀天皇】 (923-952) 第六一代天皇(在位930-946)。名は寛明(ユタアキラ)。醍醐天皇第一一皇子。
例文
- 懿徳天皇(いとくてんのう、綏靖天皇29年(紀元前553年)- 懿徳天皇34年9月8日(紀元前477年10月6日))は、『古事記』『日本書紀』に記される第4代の天皇(在位:懿徳天皇元年2月4日(紀元前510年3月15日) - 同34年9月8日(紀元前477年10月6日))。