あおやまのぶゆき 意味
- 【青山延于】
(1776-1843) 江戸後期の儒学者・歴史家。号は拙斎。水戸藩士。「大日本史」編纂に参与。彰考館総裁・弘道館教授頭取を歴任。著「皇朝史略」など。
関連用語
あおやま-のぶゆき: アヲヤマ― 【青山延于】 (1776-1843) 江戸後期の儒学者・歴史家。号は拙斎。水戸藩士。「大日本史」編纂に参与。彰考館総裁・弘道館教授頭取を歴任。著「皇朝史略」など。
なかじまのぶゆき: 【中島信行】 (1846-1899) 政治家。土佐の人。海援隊出身。維新後神奈川県令・元老院議官を歴任。自由民権運動に参加し,自由党副総理,大阪の立憲政党総理となった。初代衆議院議長。岸田俊子の夫。
あべ-のぶゆき: 【阿部信行】 (1875-1953) 軍人・政治家。石川県生まれ。陸軍大将。1939年(昭和14)組閣し,日中戦争早期決着,協調外交などの穏健政策をとったが軍部の支持を得られず,五か月で総辞職した。のち翼賛政治会総裁・朝鮮総督を歴任。
あべのぶゆき: 【阿部信行】 (1875-1953) 軍人・政治家。石川県生まれ。陸軍大将。1939年(昭和14)組閣し,日中戦争早期決着,協調外交などの穏健政策をとったが軍部の支持を得られず,五か月で総辞職した。のち翼賛政治会総裁・朝鮮総督を歴任。
さなだ-のぶゆき: 【真田信之】 (1566-1658) 安土桃山・江戸初期の武将。昌幸の長男。初代松代藩一〇万石藩主。徳川家康に出仕し,沼田城主となる。関ヶ原およびそれ以後の戦いでは徳川方に属し,戦後父の旧領上田に移り,のち松代に移封されて真田家を存続させた。
さなだのぶゆき: 【真田信之】 (1566-1658) 安土桃山・江戸初期の武将。昌幸の長男。初代松代藩一〇万石藩主。徳川家康に出仕し,沼田城主となる。関ヶ原およびそれ以後の戦いでは徳川方に属し,戦後父の旧領上田に移り,のち松代に移封されて真田家を存続させた。
なかじま-のぶゆき: 【中島信行】 (1846-1899) 政治家。土佐の人。海援隊出身。維新後神奈川県令・元老院議官を歴任。自由民権運動に参加し,自由党副総理,大阪の立憲政党総理となった。初代衆議院議長。岸田俊子の夫。
あおやま: 【青山】 東京都港区北西部の地名。江戸時代は武家屋敷が多く,明治以後住宅地として発展。 ; 【青山】 姓氏の一。 ; 【青山】 樹木が茂って,青々とした山。
あおやま-ぼち: アヲヤマ― 【青山墓地】 東京都港区にある都営の共同墓地の通称。政治家・軍人・作家など著名人の墓が多い。青山斎場がある。1872年(明治5)開設。1935年(昭和10)以降,正式名称は青山霊園。
あおやまぼち: 【青山墓地】 東京都港区にある都営の共同墓地の通称。政治家・軍人・作家など著名人の墓が多い。青山斎場がある。1872年(明治5)開設。1935年(昭和10)以降,正式名称は青山霊園。
あおやますぎさく: 【青山杉作】 (1889-1956) 演出家・俳優。新潟県生まれ。早大中退。大正初年以来,築地小劇場や松竹少女歌劇団で活躍し,千田是也(センダコレヤ)とともに俳優座を結成。
あおやまただとし: 【青山忠俊】 (1578-1643) 江戸初期の幕臣。老中。武蔵岩槻城主。将軍家光の補佐役となるが,のち諫言(カンゲン)して改易された。
あおやまたねみち: 【青山胤通】 (1859-1917) 医学者。美濃の人。東大教授。明治の医学界の指導者。癌研究会を創立,初代会頭となる。
あおやま-すぎさく: アヲヤマ― 【青山杉作】 (1889-1956) 演出家・俳優。新潟県生まれ。早大中退。大正初年以来,築地小劇場や松竹少女歌劇団で活躍し,千田是也(センダコレヤ)とともに俳優座を結成。
あおやま-ただとし: アヲヤマ― 【青山忠俊】 (1578-1643) 江戸初期の幕臣。老中。武蔵岩槻城主。将軍家光の補佐役となるが,のち諫言(カンゲン)して改易された。