あさのよしなが 意味
- 【浅野幸長】
(1576-1613) 江戸初期の大名。長政の子。幼少より豊臣秀吉に近侍。文禄・慶長の役に従軍。秀吉の没後,徳川家康にくみして紀伊和歌山に封ぜられた。
関連用語
あさの-よしなが: 【浅野幸長】 (1576-1613) 江戸初期の大名。長政の子。幼少より豊臣秀吉に近侍。文禄・慶長の役に従軍。秀吉の没後,徳川家康にくみして紀伊和歌山に封ぜられた。
あさの-ながこと: 【浅野長勲】 (1842-1937) 広島藩最後の藩主。倒幕運動・大政奉還運動に参加。1869年(明治2)藩主。元老院議官・イタリア公使などを務めた。
あさの-ながのり: 【浅野長矩】 (1667-1701) 江戸前期の大名。播磨(ハリマ)国赤穂(アコウ)藩主。内匠頭(タクミノカミ)。1701年(元禄14)3月14日勅使接待役となったが,殿中で典礼指南の吉良義央(キラヨシナカ)に切りつけ,即日,切腹・除封の処分を受けた。 赤穂浪士
あさの-ながまさ: 【浅野長政】 (1547-1611) 安土桃山時代の武将。尾張の人。織田信長・豊臣秀吉に仕える。文禄の役に軍監として朝鮮に渡る。五奉行の一人。関ヶ原の戦いでは徳川方についた。
もとき-よしなが: 【本木良永】 (1735-1794) 江戸中期の蘭学者・オランダ通詞。長崎の人。通称を栄之進,号は蘭皐(ランコウ)。訳書「和蘭陀地球図説」などで日本に初めて地動説を紹介。訳書「太陽窮理了解説」「平天儀用法」「天地二球用法」など。
あさのながこと: 【浅野長勲】 (1842-1937) 広島藩最後の藩主。倒幕運動・大政奉還運動に参加。1869年(明治2)藩主。元老院議官・イタリア公使などを務めた。
あさのながのり: 【浅野長矩】 (1667-1701) 江戸前期の大名。播磨(ハリマ)国赤穂(アコウ)藩主。内匠頭(タクミノカミ)。1701年(元禄14)3月14日勅使接待役となったが,殿中で典礼指南の吉良義央(キラヨシナカ)に切りつけ,即日,切腹・除封の処分を受けた。 →赤穂浪士
あさのながまさ: 【浅野長政】 (1547-1611) 安土桃山時代の武将。尾張の人。織田信長・豊臣秀吉に仕える。文禄の役に軍監として朝鮮に渡る。五奉行の一人。関ヶ原の戦いでは徳川方についた。
みよしながよし: 【三好長慶】 (1522-1564) 戦国時代の武将。管領細川晴元に仕えたが,主家の衰退に乗じて実権を奪い,将軍足利義輝を擁して権勢を振るった。晩年は家臣の松永久秀に圧倒され,勢力を失った。連歌に秀でた。
ながのよしこと: 【長野義言】 (1815-1862) 幕末の国学者。伊勢の人という。通称,主膳。井伊直弼(ナオスケ)の国学・和歌の師,のち側近として京都にあって廷臣間を種々画策し,安政の大獄に深くかかわった。直弼死後も公武合体に奔走したが,彦根藩内の政変で斬罪に処せられた。著「古学答問録」「沢能根世利(サワノネゼリ)」「歌の大武根(オオムネ)」など。
まつだいら-よしなが: マツダヒラ― 【松平慶永】 (1828-1890) 江戸末期の福井藩主。号,春嶽。日米修好通商条約の無断調印に抗し,また将軍継嗣問題では一橋派として井伊直弼と対立,安政の大獄で隠居・謹慎を命ぜられた。のち政事総裁職。幕政改革・公武合体を推進した。
もときよしなが: 【本木良永】 (1735-1794) 江戸中期の蘭学者・オランダ通詞。長崎の人。通称を栄之進,号は蘭皐(ランコウ)。訳書「和蘭陀地球図説」などで日本に初めて地動説を紹介。訳書「太陽窮理了解説」「平天儀用法」「天地二球用法」など。
みなもとのよしなか: 【源義仲】 (1154-1184) 平安末期の武将。為義の孫。木曾山中で育てられ,木曾次郎と称した。1180年,以仁王(モチヒトオウ)の令旨に応じて挙兵し,平維盛の大軍を倶利伽羅(クリカラ)峠に破り,平氏を都落ちさせて入京。勢威を振るったが後白河院と対立,源義経・範頼軍に攻められて,近江粟津で敗死した。木曾義仲。朝日将軍。
あさの: 【浅野】 姓氏の一。
まつだいらよしなが: 【松平慶永】 (1828-1890) 江戸末期の福井藩主。号,春嶽。日米修好通商条約の無断調印に抗し,また将軍継嗣問題では一橋派として井伊直弼と対立,安政の大獄で隠居・謹慎を命ぜられた。のち政事総裁職。幕政改革・公武合体を推進した。