あしかがもとうじ 意味
- 【足利基氏】
(1340-1367) 南北朝時代の武将。尊氏(タカウジ)の子。1349年,関東に入り,初代の鎌倉公方となる。以後,その子孫が鎌倉公方を継承。上杉憲顕(ノリアキ)(1306-1368)を関東管領として補佐させ,室町幕府の関東経営の基礎を固めた。
関連用語
あしかが-もとうじ: ―モトウヂ 【足利基氏】 (1340-1367) 南北朝時代の武将。尊氏(タカウジ)の子。1349年,関東に入り,初代の鎌倉公方となる。以後,その子孫が鎌倉公方を継承。上杉憲顕(ノリアキ)(1306-1368)を関東管領として補佐させ,室町幕府の関東経営の基礎を固めた。
あしかがもちうじ: 【足利持氏】 (1398-1439) 室町時代の武将。四代鎌倉公方。1416年,上杉禅秀の乱を平定。のち,将軍義教(ヨシノリ)と対立,38年(永享10)関東管領上杉憲実(ノリザネ)を討とうとして幕府に攻められ,翌年自刃した(永享の乱)。
あしかがうじみつ: 【足利氏満】 (1359-1398) 室町時代の武将。二代鎌倉公方。基氏の子。足利義満の打倒を画策したが,管領上杉憲春(ノリハル)の諫死(カンシ)により阻止される。のち,関東の平定につとめた。
あしかがしげうじ: 【足利成氏】 (1434-1497) 室町時代の武将。初代古河公方(コガクボウ)。持氏の子。1449年鎌倉公方。54年関東管領上杉憲忠(1433-1454)を殺害して幕府と対立。55年下総古河城に移って古河公方と称し,堀越(ホリゴエ)公方足利政知(マサトモ)と関東の支配権をめぐって対抗した。
あしかがたかうじ: 【足利尊氏】 (1305-1358) 室町幕府の初代将軍(在職 1338-1358)。初名は高氏。元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをし,後醍醐天皇の諱(イミナ)尊治の一字を賜り改名。のち天皇にそむき,1336年光明天皇を擁立し,室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し,天竜寺などを建立。
あしかが-うじみつ: ―ウヂミツ 【足利氏満】 (1359-1398) 室町時代の武将。二代鎌倉公方。基氏の子。足利義満の打倒を画策したが,管領上杉憲春(ノリハル)の諫死(カンシ)により阻止される。のち,関東の平定につとめた。
あしかが-しげうじ: ―シゲウヂ 【足利成氏】 (1434-1497) 室町時代の武将。初代古河公方(コガクボウ)。持氏の子。1449年鎌倉公方。54年関東管領上杉憲忠(1433-1454)を殺害して幕府と対立。55年下総古河城に移って古河公方と称し,堀越(ホリゴエ)公方足利政知(マサトモ)と関東の支配権をめぐって対抗した。
あしかが-たかうじ: ―タカウヂ 【足利尊氏】 (1305-1358) 室町幕府の初代将軍(在職 1338-1358)。初名は高氏。元弘の乱で建武の中興のきっかけをつくる働きをし,後醍醐天皇の諱(イミナ)尊治の一字を賜り改名。のち天皇にそむき,1336年光明天皇を擁立し,室町幕府を開いて南朝と対立した。夢窓疎石に帰依し,天竜寺などを建立。
あしかが-もちうじ: ―モチウヂ 【足利持氏】 (1398-1439) 室町時代の武将。四代鎌倉公方。1416年,上杉禅秀の乱を平定。のち,将軍義教(ヨシノリ)と対立,38年(永享10)関東管領上杉憲実(ノリザネ)を討とうとして幕府に攻められ,翌年自刃した(永享の乱)。
あしかが: 【足利】 栃木県南西部の市。足利氏発祥の地。足利銘仙をはじめとする伝統的な繊維工業のほか,機械・化学工業も進出。もと宿場町。 ; 【足利】 姓氏の一。室町将軍家。清和源氏。源義家の子義国を祖とする。下野(シモツケ)国足利の地を本拠として勢力を拡張し,尊氏(タカウジ)の代には鎌倉幕府を討滅して室町幕府を開いた。義満(ヨシミツ)の代に最盛期を迎えたが,その後は常に将軍の地位を強大な守護大名
あしかが-じだい: [5] 【足利時代】 室町時代のこと。
あしかが-ばくふ: [5] 【足利幕府】 室町幕府のこと。
あしかが-ぶんこ: 【足利文庫】 足利学校付属の文庫。上杉憲実(ノリザネ)・憲忠ら寄贈の宋版本,北条氏政寄贈の金沢文庫本などを蔵する。現在,足利学校遺蹟図書館として存続。
あしかが-よしみ: 【足利義視】 (1439-1491) 室町時代の武将。義教(ヨシノリ)の子。義政の弟。今出川殿。浄土寺の僧となり義尋と称す。のち還俗(ゲンゾク)して義政の後嗣となり義視と改名。翌年,義政の妻日野富子に義尚(ヨシヒサ)が誕生したことから将軍継嗣争いとなり,義政と対立,応仁の乱を誘発した。乱後,実子義稙(ヨシタネ)が将軍となり,その後見役。
あしかがよしかず: 【足利義量】 (1407-1425) 室町幕府五代将軍(在職 1423-1425)。義持(ヨシモチ)の子。1423年将軍,在職三年で早世した。