あしかが-ただふゆ 意味
- 【足利直冬】
南北朝時代の武将。尊氏の庶子。直義(タダヨシ)の養子。長門探題。鎮西探題。養父直義が毒殺されてのち,尊氏と決裂。以後南朝方に属す。九州・長門で勢力を蓄え,1355年尊氏を破って入京。二か月後に奪回されて敗走し,中国地方を転々とした。生没年未詳。
関連用語
あしかがただふゆ: 【足利直冬】 南北朝時代の武将。尊氏の庶子。直義(タダヨシ)の養子。長門探題。鎮西探題。養父直義が毒殺されてのち,尊氏と決裂。以後南朝方に属す。九州・長門で勢力を蓄え,1355年尊氏を破って入京。二か月後に奪回されて敗走し,中国地方を転々とした。生没年未詳。
あしかがただよし: 【足利直義】 (1306-1352) 南北朝時代の武将。尊氏(タカウジ)の弟。尊氏の幕府創設に協力し,実権を握ったが,尊氏の執事高師直(コウノモロナオ)と対立,尊氏とも不和になり毒殺された。
あしかが-ただよし: 【足利直義】 (1306-1352) 南北朝時代の武将。尊氏(タカウジ)の弟。尊氏の幕府創設に協力し,実権を握ったが,尊氏の執事高師直(コウノモロナオ)と対立,尊氏とも不和になり毒殺された。
あしかが: 【足利】 栃木県南西部の市。足利氏発祥の地。足利銘仙をはじめとする伝統的な繊維工業のほか,機械・化学工業も進出。もと宿場町。 ; 【足利】 姓氏の一。室町将軍家。清和源氏。源義家の子義国を祖とする。下野(シモツケ)国足利の地を本拠として勢力を拡張し,尊氏(タカウジ)の代には鎌倉幕府を討滅して室町幕府を開いた。義満(ヨシミツ)の代に最盛期を迎えたが,その後は常に将軍の地位を強大な守護大名
あしかが-じだい: [5] 【足利時代】 室町時代のこと。
あしかが-ばくふ: [5] 【足利幕府】 室町幕府のこと。
あしかが-ぶんこ: 【足利文庫】 足利学校付属の文庫。上杉憲実(ノリザネ)・憲忠ら寄贈の宋版本,北条氏政寄贈の金沢文庫本などを蔵する。現在,足利学校遺蹟図書館として存続。
あしかが-よしみ: 【足利義視】 (1439-1491) 室町時代の武将。義教(ヨシノリ)の子。義政の弟。今出川殿。浄土寺の僧となり義尋と称す。のち還俗(ゲンゾク)して義政の後嗣となり義視と改名。翌年,義政の妻日野富子に義尚(ヨシヒサ)が誕生したことから将軍継嗣争いとなり,義政と対立,応仁の乱を誘発した。乱後,実子義稙(ヨシタネ)が将軍となり,その後見役。
あしかがよしかず: 【足利義量】 (1407-1425) 室町幕府五代将軍(在職 1423-1425)。義持(ヨシモチ)の子。1423年将軍,在職三年で早世した。
あしかがよしかつ: 【足利義勝】 (1434-1443) 室町幕府七代将軍(在職 1442-1443)。義教(ヨシノリ)の子。1442年八歳で将軍となったが,翌年病死。
あしかが-よしかず: 【足利義量】 (1407-1425) 室町幕府五代将軍(在職 1423-1425)。義持(ヨシモチ)の子。1423年将軍,在職三年で早世した。
あしかが-よしかつ: 【足利義勝】 (1434-1443) 室町幕府七代将軍(在職 1442-1443)。義教(ヨシノリ)の子。1442年八歳で将軍となったが,翌年病死。
あしかがうじみつ: 【足利氏満】 (1359-1398) 室町時代の武将。二代鎌倉公方。基氏の子。足利義満の打倒を画策したが,管領上杉憲春(ノリハル)の諫死(カンシ)により阻止される。のち,関東の平定につとめた。
あしかががっこう: 【足利学校】 足利市昌平町にあった学校施設。室町初期の創設といわれる。永享年間(1429-1441)上杉憲実(ノリザネ)が鎌倉円覚寺より快元を招いて整備し,以後上杉・後北条・徳川各氏の保護を得て1872年(明治5)まで存続。易学を中心とした儒学や兵学・医学などが講述された。
あしかがしげうじ: 【足利成氏】 (1434-1497) 室町時代の武将。初代古河公方(コガクボウ)。持氏の子。1449年鎌倉公方。54年関東管領上杉憲忠(1433-1454)を殺害して幕府と対立。55年下総古河城に移って古河公方と称し,堀越(ホリゴエ)公方足利政知(マサトモ)と関東の支配権をめぐって対抗した。