ありすがわのみや-たるひと-しんのう 意味
- アリスガハ―シンワウ
【有栖川宮熾仁親王】
(1835-1895) 有栖川宮第九世。1868年,王政復古とともに総裁職となり,戊辰戦争では東征大総督として官軍を率いて東下。
関連用語
ありすがわのみやたるひとしんのう: 【有栖川宮熾仁親王】 (1835-1895) 有栖川宮第九世。1868年,王政復古とともに総裁職となり,戊辰戦争では東征大総督として官軍を率いて東下。
ありすがわのみや: 【有栖川宮】 旧宮家。四親王家の一。後陽成天皇の皇子好仁親王が1625年高松宮と称したが,72年,第三世幸仁親王(後西天皇の第二皇子)の時,有栖川宮と改称。1913年(大正2)一〇代威仁(タケヒト)親王の死去により廃絶し,祭祀(サイシ)を高松宮宣仁親王が継承した。
たるひとしんのう: 【熾仁親王】 ⇒有栖川宮熾仁親王(アリスガワノミヤタルヒトシンノウ)
たるひと-しんのう: ―シンワウ 【熾仁親王】 有栖川宮熾仁親王
ありすがわ-の-みや: アリスガハ― 【有栖川宮】 旧宮家。四親王家の一。後陽成天皇の皇子好仁親王が1625年高松宮と称したが,72年,第三世幸仁親王(後西天皇の第二皇子)の時,有栖川宮と改称。1913年(大正2)一〇代威仁(タケヒト)親王の死去により廃絶し,祭祀(サイシ)を高松宮宣仁親王が継承した。
ありすがわ: 【有栖川】 (1)京都市右京区嵯峨野の斎宮(イツキノミヤ)の東を流れて桂川に注ぐ小流。((歌枕)) (2)京都市北区紫野の舟岡山の東麓(トウロク)に発し,賀茂斎院の本院付近を流れる川。((歌枕))「―おなじ流れはかはらねどみしや昔のかげぞ忘れぬ/新古今(哀傷)」
ありすがわりゅう: 【有栖川流】 書道の一流派。祖は有栖川宮幟仁(タカヒト)親王(1812-1886)。
ありすがわ-りゅう: アリスガハリウ 【有栖川流】 書道の一流派。祖は有栖川宮幟仁(タカヒト)親王(1812-1886)。
りんのうじのみや: 【輪王寺宮】 日光輪王寺の門跡であった法親王の称号。
ありす-がわ: ―ガハ 【有栖川】 (1) 京都市右京区嵯峨野の斎宮(イツキノミヤ)の東を流れて桂川に注ぐ小流。((歌枕)) (2) 京都市北区紫野の舟岡山の東麓(トウロク)に発し,賀茂斎院の本院付近を流れる川。((歌枕))「―おなじ流れはかはらねどみしや昔のかげぞ忘れぬ/新古今(哀傷)」
あきひとしんのう: 【彰仁親王】 (1846-1903) 伏見宮邦家親王の第八王子。維新後,東伏見宮と称し,さらに小松宮と改称。軍事総裁・陸軍大将・元帥などを務めた。
あきひと-しんのう: ―シンワウ 【彰仁親王】 (1846-1903) 伏見宮邦家親王の第八王子。維新後,東伏見宮と称し,さらに小松宮と改称。軍事総裁・陸軍大将・元帥などを務めた。
すけひとしんのう: 【典仁親王】 (1733-1794) 江戸中期の皇族。閑院宮第二代。直仁親王の王子。光格天皇の父。1884年(明治17)慶光天皇と追号された。 →尊号事件
すけひと-しんのう: ―シンワウ 【典仁親王】 (1733-1794) 江戸中期の皇族。閑院宮第二代。直仁親王の王子。光格天皇の父。1884年(明治17)慶光天皇と追号された。 尊号事件
たかひとしんのう: 【幟仁親王】 (1812-1886) 有栖川宮第八代。韶仁(ツナヒト)親王第一皇子。議定官,神祇官事務局総督などを歴任。和歌・書道に優れ明治天皇の師範となった。