いしばしにんげつ 意味
- 【石橋忍月】
(1865-1926) 評論家・小説家。筑後の人。本名,友吉。東大卒。内田魯庵と並ぶ明治20年代の代表的な批評家。森鴎外との論争で知られる。小説「露子姫」,「石橋忍月評論集」など。
関連用語
いしばし-にんげつ: 【石橋忍月】 (1865-1926) 評論家・小説家。筑後の人。本名,友吉。東大卒。内田魯庵と並ぶ明治20年代の代表的な批評家。森鴎外との論争で知られる。小説「露子姫」,「石橋忍月評論集」など。
にんげつ: 【忍月】 ⇒石橋(イシバシ)忍月
いしばし: 【石橋】 栃木県南部,下都賀(シモツガ)郡の町。日光街道の宿駅で,かんぴょうを生産。 ; 【石橋】 姓氏の一。 ; 【石橋】 石で造った橋。石の橋。 ――を叩(タタ)いて渡る 〔堅固な石橋を,さらにたたいて安全を確かめてから渡る意〕 用心の上にも用心をする。
いしばし-しあん: 【石橋思案】 (1867-1927) 小説家。横浜市生まれ。本名,助三郎。東大中退。尾崎紅葉・山田美妙らと硯友社を興す。今様春水と評され,「仇桜遊里廼夜嵐」「乙女心」「京鹿子」など人情本的な恋愛小説を書いた。
いしばししあん: 【石橋思案】 (1867-1927) 小説家。横浜市生まれ。本名,助三郎。東大中退。尾崎紅葉・山田美妙らと硯友社を興す。今様春水と評され,「仇桜遊里廼夜嵐」「乙女心」「京鹿子」など人情本的な恋愛小説を書いた。
いしばしたんざん: 【石橋湛山】 (1884-1973) 政治家。東京生まれ。早大哲学科卒。東洋経済新報社社長を経て,第二次大戦後第一次吉田内閣蔵相。1956年(昭和31)自由民主党総裁となり,内閣を組織したが,病に倒れ三か月足らずで辞職。日中・日ソ交流促進に尽力。
いしばし-たんざん: 【石橋湛山】 (1884-1973) 政治家。東京生まれ。早大哲学科卒。東洋経済新報社社長を経て,第二次大戦後第一次吉田内閣蔵相。1956年(昭和31)自由民主党総裁となり,内閣を組織したが,病に倒れ三か月足らずで辞職。日中・日ソ交流促進に尽力。
しばし: 【暫し】 ちょっとの間。しばらく。現代では多く文章語として用いる。 「―足をとどめる」「―の間,動きが止まった」「待て―」
しにん: 【死人】 死んだ人。死者。しびと。 ――に口(クチ)無し 死んだ人は何も言えない。死者が抗弁できないのをよいことに,罪を着せたりするときや,死者からは証言を得ることができないことにいう。 ; 【視認】 目で実際に確認すること。 「二キロ前方に潜水艦を―する」
しばしば: 【屡・屡屡・数・数数】 何度も何度も。たびたび。しょっちゅう。 「―訪れる」 ; しきりにまばたきをするさま。 「目を―させる」
しばしばめ: 【しばしば目】 涙ぐんで目をしばたたくこと。
しばしば目: しばしばめ ④ 涙ぐんで目をしばたたくこと。
しばしば-め: [4] 【しばしば目】 涙ぐんで目をしばたたくこと。
いしばししょうじろう: 【石橋正二郎】 (1889-1976) 実業家。福岡県生まれ。地下足袋の発明から事業を起こし,国産タイヤ生産に着手しブリヂストンを育てる。
いしばしやまのたたかい: 【石橋山の戦い】 1180年8月,小田原市南部の石橋山で行われた源頼朝挙兵後最初の合戦。平家方の大庭景親らの軍に大敗し,頼朝は再挙のため一時安房(アワ)に逃れた。