あしかがただよし 意味
- 【足利直義】
(1306-1352) 南北朝時代の武将。尊氏(タカウジ)の弟。尊氏の幕府創設に協力し,実権を握ったが,尊氏の執事高師直(コウノモロナオ)と対立,尊氏とも不和になり毒殺された。
関連用語
あしかが-ただよし: 【足利直義】 (1306-1352) 南北朝時代の武将。尊氏(タカウジ)の弟。尊氏の幕府創設に協力し,実権を握ったが,尊氏の執事高師直(コウノモロナオ)と対立,尊氏とも不和になり毒殺された。
あしかがただふゆ: 【足利直冬】 南北朝時代の武将。尊氏の庶子。直義(タダヨシ)の養子。長門探題。鎮西探題。養父直義が毒殺されてのち,尊氏と決裂。以後南朝方に属す。九州・長門で勢力を蓄え,1355年尊氏を破って入京。二か月後に奪回されて敗走し,中国地方を転々とした。生没年未詳。
あしかが-よしみ: 【足利義視】 (1439-1491) 室町時代の武将。義教(ヨシノリ)の子。義政の弟。今出川殿。浄土寺の僧となり義尋と称す。のち還俗(ゲンゾク)して義政の後嗣となり義視と改名。翌年,義政の妻日野富子に義尚(ヨシヒサ)が誕生したことから将軍継嗣争いとなり,義政と対立,応仁の乱を誘発した。乱後,実子義稙(ヨシタネ)が将軍となり,その後見役。
あしかがよしかず: 【足利義量】 (1407-1425) 室町幕府五代将軍(在職 1423-1425)。義持(ヨシモチ)の子。1423年将軍,在職三年で早世した。
あしかがよしかつ: 【足利義勝】 (1434-1443) 室町幕府七代将軍(在職 1442-1443)。義教(ヨシノリ)の子。1442年八歳で将軍となったが,翌年病死。
あしかが-よしかず: 【足利義量】 (1407-1425) 室町幕府五代将軍(在職 1423-1425)。義持(ヨシモチ)の子。1423年将軍,在職三年で早世した。
あしかが-よしかつ: 【足利義勝】 (1434-1443) 室町幕府七代将軍(在職 1442-1443)。義教(ヨシノリ)の子。1442年八歳で将軍となったが,翌年病死。
あしかが-ただふゆ: 【足利直冬】 南北朝時代の武将。尊氏の庶子。直義(タダヨシ)の養子。長門探題。鎮西探題。養父直義が毒殺されてのち,尊氏と決裂。以後南朝方に属す。九州・長門で勢力を蓄え,1355年尊氏を破って入京。二か月後に奪回されて敗走し,中国地方を転々とした。生没年未詳。
ただよし: 【忠吉】 (1572-1632) 江戸初期の刀工。肥前の人。本名,橋本新左衛門。埋忠明寿に師事。「肥前国忠吉」と銘を切るところから五字忠吉と呼ぶ。晩年,武蔵大掾忠広と改める。堅実・重厚な作風。肥前新刀の祖。
あしかがよしあき: 【足利義昭】 (1537-1597) 室町幕府一五代将軍(在職 1568-1573)。義晴の子。1568年,織田信長に擁されて将軍となる。のち不和を生じ信長を討とうとしたが,73年京都を追われ,幕府は滅亡した。
あしかがよしずみ: 【足利義澄】 (1480-1511) 室町幕府一一代将軍(在職 1494-1508)。堀越(ホリゴエ)公方政知(マサトモ)の子。義政の養子。細川政元に擁立され将軍となったが,1508年前将軍義稙(ヨシタネ)により,将軍職を剥奪(ハクダツ)された。
あしかがよしたね: 【足利義稙】 (1466-1523) 室町幕府一〇代将軍(在職(1490-1493)・(1508-1521))。義視(ヨシミ)の子。島公方・流れ公方とよばれる。1490年将軍となり,93年出陣中細川政元にそむかれ将軍職を追われた。1508年大内義興(ヨシオキ)の支援で復職したが,細川高国と対立して,21年淡路に出奔,阿波で没した。
あしかがよしてる: 【足利義輝】 (1536-1565) 室町幕府一三代将軍(在職 1546-1565)。義晴の子。三好・松永氏らの勢力が強く,将軍職が形骸化(ケイガイカ)したことに反発したが,逆に松永久秀らに暗殺された。
あしかがよしのり: 【足利義教】 (1394-1441) 室町幕府六代将軍(在職 1429-1441)。義満(ヨシミツ)の子。義円と称して僧籍にあったが,義持の死後,石清水社前で諸将が行なった鬮(クジ)によって後嗣と決定。鎌倉公方足利持氏や土岐持頼らを討って将軍の権力を強めたが,赤松満祐(ミツスケ)に暗殺された。 →嘉吉(カキツ)の乱
あしかがよしはる: 【足利義晴】 (1511-1550) 室町幕府一二代将軍(在職 1521-1546)。義澄の子。細川高国に擁立されて将軍となった。実権なく,三好長慶・細川晴元らの政争に翻弄(ホンロウ)され,将軍職を子の義輝に譲った。