高橋健自 意味
- たかはしけんじ
(1871-1929) 考古学者。宮城県生まれ。東京高師卒。東京帝室博物館歴史課長。著「鏡と剣と玉」「日本服飾史論」など。
- 高橋 たかはし 高くかけた橋。 「―わたす/催馬楽」 ; たかはし 姓氏の一。古代の豪族高橋氏は,はじめ膳(カシワデ)臣を賜り供御に従事,後に高橋朝臣の姓を賜り,内膳司の長官を世襲する。
- 高橋お伝 たかはしおでん (1850?-1879) 上州の人。夫を毒殺し,悪事を重ねて処刑された。稀代の毒婦とされ,これを題材としたものに仮名垣魯文の「高橋阿伝夜叉譚(ヤシヤモノガタリ)」,河竹黙阿弥作の歌舞伎「綴合於伝仮名文(ツヅリアワスオデンノカナブミ)」がある。
- 高橋くら子 たかはしくらこ (1907-1938) 部落解放運動家。本名くらの。長野県生まれ。長野県水平社創立に際し参加。各地の大会や争議で精力的に活動。
- 高橋亀吉 たかはしかめきち (1891-1977) 経済評論家。山口県生まれ。東洋経済新報編集長。1930年(昭和5)の金解禁に反対の論陣を張る。市井のエコノミストとして著名。著「大正昭和財界変動史」「日本近代経済発達史」など。
- 高橋新吉 たかはししんきち (1901-1987) 詩人。愛媛県生まれ。一切の権威を否定する「ダダイスト新吉の詩」によって前衛的な詩壇の旗手となる。著,詩集「胴体」「鯛」,小説「狂人」など。
- 高橋景保 たかはしかげやす (1785-1829) 江戸後期の天文学者。大坂の人。至時(ヨシトキ)の子。伊能忠敬の死後,その測量に基づいて「大日本沿海輿地全図」を完成。シーボルトにこの地図を与えた罪に問われ獄死。
- 高橋残夢 たかはしざんむ (1775-1851) 江戸後期の歌人・国学者。京都の人。本姓は平松。通称,元右衛門。歌を香川景樹に学び,語源研究にも力を入れた。言霊(コトダマ)派の大成者。主著「霊の宿」「言霊右言考」「和歌六体考」
- 高橋氏文 たかはしうじぶみ 歴史書。789年成立。宮内省内膳司(ウチノカシワデノツカサ)の職にあった高橋氏が,同職の阿曇(アズミ)氏との席次争いに際し,自氏の正統性を弁ずるために奏上した文書。高橋氏の優位を認めた792年の太政官符をも含む。完本は伝わらず,逸文が諸書に引用されている。
- 高橋泥舟 たかはしでいしゅう (1835-1903) 幕末の幕臣。名は政晃。槍術に優れる。講武所教授。鳥羽伏見の戦い後は恭順謹慎を唱え,徳川慶喜の身辺警固にあたった。勝海舟・山岡鉄舟とともに幕末三舟といわれる。
- 高橋瑞子 たかはしみずこ (1852-1927) 医師。三河の人。助産婦開業後,女医公許に際し上京。医学校への女子入学の道を開いた。医師免許取得後,東京で開業。
- 高橋由一 たかはしゆいち (1828-1894) 明治初期の洋画家。江戸生まれ。初め日本画を学ぶが,洋画に転向,川上冬崖・ワーグマンに師事。私塾天絵(テンカイ)楼を開き洋画の普及と後進の育成にあたる。写実的手法で静物・肖像・風景などを描く。代表作「鮭」など。
- 高橋至時 たかはしよしとき (1764-1804) 江戸後期の天文学者・暦学者。大坂の人。麻田剛立に天文・暦学を学び,中国の暦象考成,麻田流消長法を取り入れて寛政暦を完成。
- 高橋虫麻呂 たかはしのむしまろ 奈良前期の官人・歌人。藤原宇合(ウマカイ)の下僚と思われる。「高橋虫麻呂歌集」があり,伝説に取材した歌が多く万葉集に収められている。一説に「常陸風土記」の撰に関与したといわれる。生没年未詳。
例文
- 後に東京帝室博物館(現東京国立博物館)の監査官に就任した高橋健自教頭ら、旧制中学時代の教員・学校関係者が収集したものが主である。
- ただし、金堂の礎石は明治時代に高橋健自が調査した時には12個残っていたというが、その後抜き取られて古美術商などの手に渡り、現在は2個しか残っていない。