いごく 意味
- 【動く】
「うごく」の転。
「ただ上げてみれども―・かぬ/狂言・石神」
例文
もっと例文: 次へ>
- 大極殿(だいごくでん)は、古代の朝廷の正殿。
- 元気で明るいごく普通の少年。
- 瓶覗き(かめのぞき)とは、白に近いごく薄い藍色。
- いごく 【動詞】動く。
- 高杉健一郎は喧嘩の強いごく普通? の不良な中学2年生。
関連用語
さいごく: 【西国】 〔「さいこく」とも〕 □一□西方の国。 (1)日本の関西地方より西の国。特に,九州地方。 (2)日本の西方にある国。特に,インド。 (3)アジアの西方にある国。西洋の国。 □二□京都を中心に,西国三十三所にある観音の霊地,またそれらを巡礼すること。西国三十三所。西国巡礼。 ――を打・つ 西国三十三所の観音参りをする。 「いつそのこと―・つ気はないか/歌舞伎・吾嬬鑑」
さいごくじ: 【西国路】 「山陽道」に同じ。特に,江戸時代,大坂から下関に至る瀬戸内海に沿う街道。
さいごく-じ: ―ヂ 【西国路】 「山陽道」に同じ。特に,江戸時代,大坂から下関に至る瀬戸内海に沿う街道。
さいごく-ぶね: [5] 【西国船】 九州地方を主とする西国地方の回船をいう,上方での呼称。
たいごく: 【大獄】 大きな犯罪事件で多くの者が捕らえられること。 「安政の―」
だいごく-でん: [4] 【大極殿】 大内裏朝堂院の正殿。本来天皇が政務を執る所であったが,のち賀正・即位などの国家の大礼時に臨御するだけとなった。平安京のものは1177年焼失したまま再興されなかったが,1895年(明治28)平安神宮造営に際し,その様式が取り入れられた。大安殿(オオヤスミドノ)。だいぎょくでん。 大内裏
さいごくぶね: 【西国船】 九州地方を主とする西国地方の回船をいう,上方での呼称。
だいごくでん: 【大極殿】 大内裏朝堂院の正殿。本来天皇が政務を執る所であったが,のち賀正・即位などの国家の大礼時に臨御するだけとなった。平安京のものは1177年焼失したまま再興されなかったが,1895年(明治28)平安神宮造営に際し,その様式が取り入れられた。大安殿(オオヤスミドノ)。だいぎょくでん。 →大内裏
あんせい-の-たいごく: 【安政の大獄】 1858年(安政5)から翌年にかけ,安政の五か国条約の調印および将軍継嗣問題に対して激化した尊王攘夷(ソンノウジヨウイ)運動派に対し,大老井伊直弼が行なった弾圧。連座者は公卿・志士百余名。吉田松陰・橋本左内ら八名が処刑された。
さいごく-じゅんれい: [5] 【西国巡礼】 西国三十三所を巡礼すること。また,その巡礼者。
さいごく-すじ-ぐんだい: ―スヂ― [7] 【西国筋郡代】 江戸幕府の職名。九州の幕府領を管轄し,管内の租税の徴収・訴訟などをつかさどった。本陣は豊後(ブンゴ)国日田(ヒタ)にあった。西国郡代。
あんせいのたいごく: 【安政の大獄】 1858年(安政5)から翌年にかけ,安政の五か国条約の調印および将軍継嗣問題に対して激化した尊王攘夷(ソンノウジヨウイ)運動派に対し,大老井伊直弼が行なった弾圧。連座者は公卿・志士百余名。吉田松陰・橋本左内ら八名が処刑された。
さいごくじゅんれい: 【西国巡礼】 西国三十三所を巡礼すること。また,その巡礼者。
さいごくすじぐんだい: 【西国筋郡代】 江戸幕府の職名。九州の幕府領を管轄し,管内の租税の徴収・訴訟などをつかさどった。本陣は豊後(ブンゴ)国日田(ヒタ)にあった。西国郡代。
さいごくりっしへん: 【西国立志編】 啓蒙書。イギリスの S =スマイルズの著「Self Help(自助論)」の訳書。中村正直訳。1871年(明治4)刊。西欧の歴史上の人物三百数十人の成功談を掲げて,その原動力となった個人主義精神を鼓吹(コスイ)。明治初期の青年層に多大な影響を与えた。