こうこう-てんのう 意味
- クワウカウテンワウ
【光孝天皇】
(830-887) 第五八代天皇(在位 884-887)。名は時康。小松の帝とも。仁明天皇の皇子。藤原基経の支持によって即位。
関連用語
こうこうてんのう: 【光孝天皇】 (830-887) 第五八代天皇(在位 884-887)。名は時康。小松の帝とも。仁明天皇の皇子。藤原基経の支持によって即位。
しょうこう-てんのう: シヨウクワウテンワウ 【称光天皇】 (1401-1428) 第一〇一代天皇(在位 1412-1428)。名は実仁(ミヒト)。後小松天皇の皇子。
しょうこうてんのう: 【称光天皇】 (1401-1428) 第一〇一代天皇(在位 1412-1428)。名は実仁(ミヒト)。後小松天皇の皇子。
にんのうこう: 【仁王講】 仁王般若経を読誦する法会。
まんのうこう: 【万能膏】 すべての傷や腫れ物などに効能があるという膏薬。
すこう-てんのう: スクワウテンワウ 【崇光天皇】 (1334-1398) 北朝第三代天皇(在位 1348-1351)。名は興仁(オキヒト)。光厳天皇第一皇子。在位四年。1352年以後六年間,南朝方のため賀名生(アノウ)に幽居。
かんのうどうこう: 【感応道交】 〔仏〕 人々の仏を求める心と,それに応ずる仏の心が通じ合い,一つに交わること。かんのうどうきょう。
かんのう-どうこう: ―オウダウカウ [5] 【感応道交】 (仏) 人々の仏を求める心と,それに応ずる仏の心が通じ合い,一つに交わること。かんのうどうきょう。
あんこうてんのう: 【安康天皇】 記紀で第二〇代天皇穴穂尊(アナホノミコト)の漢風諡号(シゴウ)。允恭(インギヨウ)天皇の皇子。都は大和石上(イソノカミ)穴穂宮。眉輪(マヨワ)王に暗殺された。倭(ワ)の五王の一人「興」に比定する説がある。
あんこう-てんのう: アンカウテンワウ 【安康天皇】 記紀で第二〇代天皇穴穂尊(アナホノミコト)の漢風諡号(シゴウ)。允恭(インギヨウ)天皇の皇子。都は大和石上(イソノカミ)穴穂宮。眉輪(マヨワ)王に暗殺された。倭(ワ)の五王の一人「興」に比定する説がある。
けいこうてんのう: 【景行天皇】 記紀の所伝で,第一二代天皇,大足彦尊(オオタラシヒコノミコト)・大足彦忍代別尊(オオタラシヒコオシロワケノミコト)の漢風諡号(シゴウ)。垂仁天皇の第三皇子。都は大和(ヤマト)の纏向日代宮(マキムクノヒシロノミヤ)。熊襲(クマソ)を征討し,皇子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を派遣して蝦夷(エゾ)を平定したという。記紀の歴史構想で,四道将軍派遣にみられる崇神期の王化の拡大をうけ
けいこう-てんのう: ケイカウテンワウ 【景行天皇】 記紀の所伝で,第一二代天皇,大足彦尊(オオタラシヒコノミコト)・大足彦忍代別尊(オオタラシヒコオシロワケノミコト)の漢風諡号(シゴウ)。垂仁天皇の第三皇子。都は大和(ヤマト)の纏向日代宮(マキムクノヒシロノミヤ)。熊襲(クマソ)を征討し,皇子の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を派遣して蝦夷(エゾ)を平定したという。記紀の歴史構想で,四道将軍派遣にみられる崇
こうあんてんのう: 【孝安天皇】 記紀の所伝で第六代天皇,日本足彦国押人尊(ヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト)の漢風諡号(シゴウ)。孝昭天皇の皇子。在位102年という。
こうあん-てんのう: カウアンテンワウ 【孝安天皇】 記紀の所伝で第六代天皇,日本足彦国押人尊(ヤマトタラシヒコクニオシヒトノミコト)の漢風諡号(シゴウ)。孝昭天皇の皇子。在位102年という。
こうかくてんのう: 【光格天皇】 (1771-1840) 第一一九代天皇(在位 1780-1817)。名は兼仁(トモヒト)。閑院宮典仁(カンインノミヤスケヒト)親王の皇子。父に太上天皇の尊号を奉上しようとして老中松平定信に反対された。 →尊号事件