だざいのだいに 意味
- 【大宰大弐】
大宰府の次官。親王が帥(ソツ)に任ぜられ,権帥(ゴンノソツ)がないときは,代わって府務を統率した。
例文
- 書状(離洛帖)(国宝)畠山記念館蔵 - 正暦2年(991年)、佐理(当時48歳)が書いた書状で、内容は佐理が大宰大弐(だざいのだいに、大宰府の次官)に任命されて任地へ向かう旅の途上、摂政の藤原道隆に赴任のあいさつをしてくるのを忘れたことを思い出し、妹の息子である藤原誠信にあてて、道隆へのとりなしを依頼した侘び状である。
関連用語
だざい-の-だいに: 【大宰大弐】 大宰府の次官。親王が帥(ソツ)に任ぜられ,権帥(ゴンノソツ)がないときは,代わって府務を統率した。
だざいのそつ: 【大宰帥】 〔「だざいのそち」とも〕 律令制で,大宰府の長官。九世紀以後は親王が任ぜられるのが通例となり,実務は権帥(ゴンノソツ)また大弐が執った。おおみこともちのかみ。
たいのだい: 【対代】 寝殿造りで,対屋(タイノヤ)を簡略に造って,代わりとしたもの。対代廊。たいしろ。たいだい。
だざいのしょうに: 【大宰少弐】 大宰府の次官で,大宰大弐に次ぐ官職。鎌倉幕府の御家人,武藤資頼が任ぜられて以後武藤氏の世襲となり,武藤氏は代々少弐氏を称するに至った。
だざいしゅんだい: 【太宰春台】 (1680-1747) 江戸中期の儒者。名は純。別号,紫芝園。信濃の人。初め出石藩に仕えたが,辞官して遊学。のち荻生徂徠の門に入り,経学の後継者として著述を多く残した。著「経済録」「聖学問答」など。
だざい-しゅんだい: 【太宰春台】 (1680-1747) 江戸中期の儒者。名は純。別号,紫芝園。信濃の人。初め出石藩に仕えたが,辞官して遊学。のち荻生徂徠の門に入り,経学の後継者として著述を多く残した。著「経済録」「聖学問答」など。
だざいのごんのそつ: 【大宰権帥】 〔「だざいのごんのそち」とも〕 令外(リヨウゲ)の官の一。大宰帥の権官(ゴンカン)。九世紀以後,実務を執る官として置かれた。また,中央の高官が左遷されて赴任した場合には,本人は実務を執らなかった。
だざい: 【太宰】 姓氏の一。 ; 【大宰・太宰】 〔「ださい」とも〕 「大宰府」の略。また,その職員。 ; 【堕在】 悪い世界や境遇に落ちて,そこにとどまること。 「既に人界(ニンガイ)に―する/草枕(漱石)」 ; 【堕罪】 罪におちいること。罪人となること。 「無間の底に―すべかつしを/謡曲・鵜飼」
ぜんいのだいさんしゃ: 【善意の第三者】 〔法〕 当事者間に存在する特定の事情を知らない第三者。
だざいふ: 【太宰府】 福岡県中西部の市。律令制下,大宰府が設置された。太宰府天満宮・観世音寺・大宰府跡・大野城跡・筑前国分寺跡など史跡が多い。 ; 【大宰府】 〔通例,官庁は「大宰府」,地名は「太宰府」と書く〕 律令制で,筑前国に置かれた地方官庁。九州諸国の行政の統轄,外国使節の接待,海辺防備などに当たった。福岡県太宰府市にその遺跡がある。おおみこともちのつかさ。
だざい-おさむ: ―ヲサム 【太宰治】 (1909-1948) 小説家。青森県生まれ。本名,津島修治。自虐的かつ道化的精神と絶妙の語りで人間の偽善を告発する作品を次々に発表。戦後は無頼派文学の旗手として活躍した。玉川上水で入水死。代表作「桜桃」「斜陽」「人間失格」
だざい-の-そつ: 【大宰帥】 (「だざいのそち」とも) 律令制で,大宰府の長官。九世紀以後は親王が任ぜられるのが通例となり,実務は権帥(ゴンノソツ)また大弐が執った。おおみこともちのかみ。
だざい-ふ: [2] 【大宰府】 (通例,官庁は「大宰府」,地名は「太宰府」と書く) 律令制で,筑前国に置かれた地方官庁。九州諸国の行政の統轄,外国使節の接待,海辺防備などに当たった。福岡県太宰府市にその遺跡がある。おおみこともちのつかさ。
あいのだけ: 【間ノ岳】 赤石山脈の主峰白根山を構成する三峰の一。海抜3189メートル。日本第四位の高峰。
そまだざいく: 【杣田細工】 青貝に金銀の切り金を交えた螺鈿(ラデン)の一種。江戸中期,富山藩の細工師杣田清輔が創始。