宇野重吉 意味
- うのじゅうきち
(1914-1988) 俳優・演出家。本名,寺尾信夫。福井市生まれ。新協劇団などに拠(ヨ)り左翼演劇運動に参加。第二次大戦後,劇団民芸に創立時より参加,指導的立場に立つ。飄々(ヒヨウヒヨウ)とした芸風で広く親しまれた。
- 宇野 うの 岡山県玉野市東部の地名。もと宇高連絡船が四国高松と結んだ。 ; うの 姓氏の一。
- 宇野線 うのせん JR 西日本の鉄道線。岡山と宇野間,32.9キロメートル。かつては宇高航路と連絡し,本州と四国を結ぶ幹線であった。
- 中野重治 なかのしげはる (1902-1979) 小説家・詩人・評論家。福井県生まれ。東大卒。プロレタリア芸術運動の中心的人物の一人として業績を残す。作品「中野重治詩集」「歌のわかれ」「むらぎも」「斎藤茂吉ノオト」「甲乙丙丁」など。
- 八木重吉 やぎじゅうきち (1898-1927) 詩人。東京,南多摩生まれ。東京高師卒。「詩の家」同人。キリスト者として「銅鑼」その他に繊細かつ清純な抒情詩を発表したが,肺結核で早世。詩集「秋の瞳」「貧しき信徒」など。
- 鈴木三重吉 すずきみえきち (1882-1936) 小説家・児童文学者。広島県生まれ。東大卒。夏目漱石に師事。「千鳥」「桑の実」など繊細で浪漫的な作風で文壇に認められた。のち児童雑誌「赤い鳥」を創刊,児童文学の普及と向上に努めた。
- 宇野円空 うのえんくう (1885-1949) 宗教学者。京都生まれ。東大教授。姉崎正治に学び,宗教民族学の分野を開拓。主著「宗教学」「宗教民族学」
- 宇野哲人 うのてつと (1875-1974) 中国哲学者。熊本県生まれ。東大教授。著「支那哲学の研究」「支那哲学史講話」
- 宇野弘蔵 うのこうぞう (1897-1977) 経済学者。岡山県生まれ。東大教授。理論とイデオロギーを峻別し,マルクス経済学を再構成し独自の三段階論(原理論・段階論・現状分析)を確立。著「価値論」「経済原論」など。
- 宇野明霞 うのめいか (1698-1745) 江戸中期の儒者。近江の人。名は鼎,字(アザナ)は士新,通称は三平。京都に徂徠学を導入しながら,後に離反した。著「論語考」「明霞先生遺稿」など。
- 宇野浩二 うのこうじ (1891-1961) 小説家。福岡県生まれ。本名,格次郎。早大中退。饒舌(ジヨウゼツ)な文体と人情の機微をうがつ人間観察で独自な文学世界を展開した。「蔵の中」「山恋ひ」「子を貸し屋」「枯木のある風景」「器用貧乏」など。
- 宇陀 うだ 奈良県東部,宇陀郡一帯の地名。大宇陀町一帯の丘陵地帯は「宇陀の(大)野」と呼ばれ,奈良遷都以前,朝廷の狩猟地だった。((歌枕))「けころもを時かたまけて出でましし―の大野は思ほえむかも/万葉 191」
- 宇陀紙 うだがみ ② 奈良県宇陀郡地方周辺から産出する厚手の楮(コウゾ)紙。主に,表具の裏打ちや傘に用いられる。
- 宇高連絡船 うこうれんらくせん 本州と四国を結んでいた旧国鉄の連絡航路。岡山県玉野市宇野と香川県高松間。1988年(昭和63)廃止。
- 守 しゅ ① 律令制で,官が高く位の低い者が公文書に署名するとき,位と官との間に書く語。 ⇔行(ギヨウ) 「従三位―大納言兼行/宇津保(初秋)」 →位署(イシヨ)
例文
- 審査員には、宇野重吉らがいたという。
- 東芝日曜劇場では宇野重吉と共演。
- 1959年宇野重吉のすすめで劇団民藝に入団。
- 宇野重吉監督、大坂志郎主演。
- 1950年、宇野重吉らとともに劇団民藝を創立する。
- 同期には宇野重吉がいた。
- 1947年、宇野重吉、滝沢修らと民衆芸術劇場を設立。
- 撮影所では宇野重吉、加藤泰と口も利かなかったという。
- 手記の朗読は宇野重吉。
- 俳優・宇野重吉の長男。