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河井流 意味

読み方:

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  • かわいりゅう
    水泳術の一派。八幡流水泳術(河井家の家伝)一二代目の河井半兵衛幸篤が創始したもの。
    〔「河合流」とも書く〕

  • 河井    かわい 姓氏の一。
  • 向井流    むかいりゅう 水泳術の一派。祖は江戸初期の御船手(オフナテ)奉行向井兵庫頭正綱(1557-1625)。俗に御船手泳ぎともいう。
  • 石井流    いしいりゅう 能の大鼓(オオツヅミ)方五流派の一。高安流の流れをくむ。流祖は安土桃山時代の石井庄左衛門滋長(シゲナガ)。
  • 河井道    かわいみち (1877-1953) 教育者。三重県生まれ。女子英学塾(現津田塾大)教授。日本 YWCA 創立に尽力。のち,キリスト教に基づく平和教育をめざして恵泉女学園を設立。
  • 飛鳥井流    あすかいりゅう (1)和様書道の一流派。飛鳥井雅親(マサチカ)を流祖とする。 (2)蹴鞠(ケマリ)の一流派。飛鳥井雅経(マサツネ)を流祖とする。
  • 河井寛次郎    かわいかんじろう (1890-1966) 陶芸家。島根県生まれ。京都五条に鐘渓窯を築き陶芸に従事。柳宗悦・浜田庄司らの民芸運動に参加し,素朴で重厚な作品を残す。
  • 河井継之助    かわいつぐのすけ (1827-1868) 幕末の長岡藩家老。名は秋義。号は蒼竜窟。佐久間象山・古賀謹堂に学び,開国論を唱える。戊辰戦争では中立をはかったが,官軍が認めず,長岡城の激戦で重傷を負い,死亡。
  • 河井荃廬     かわい-せんろ カハヰ― 【河井荃廬】 (1872-1945) 篆刻家。本名仙郎。蟫巣(タンソウ)・九節大人とも号す。中国文人と交流し金石学・文字学に精通。中国文物の鑑識に長じ,その招来に尽力した。その印は彼の学問とともに書壇や印壇に大きな影響を与えた。
  • 河上肇    かわかみはじめ (1879-1946) 経済学者。山口県生まれ。京大教授。人道主義を経て,マルクス主義経済学の研究と無産運動に従事。1928年(昭和3)京大を追われ,労農党を結成。のち共産党に入党,投獄された。著「貧乏物語」「資本論入門」「自叙伝」など。
  • 河上徹太郎    かわかみてつたろう (1902-1980) 評論家。長崎市生まれ。東大卒。昭和初期から,フランス象徴主義の影響に基づく評論活動を展開,近代批評の先駆となった。著「自然と純粋」「日本のアウトサイダー」,翻訳「悲劇の哲学」など。