ほんだ-としあき 意味
- 【本多利明】
(1744-1820) 江戸後期の経世家。越後の人。江戸に出て数学・天文学・蘭学・地理・航海術を修め私塾を開く。蝦夷(エゾ)を含む日本各地を踏査する一方,西欧事情を研究。開国・外国貿易・北防の急務を説いた。著「経世秘策」「西域物語」「経済総論」など。
関連用語
ほんだとしあき: 【本多利明】 (1744-1820) 江戸後期の経世家。越後の人。江戸に出て数学・天文学・蘭学・地理・航海術を修め私塾を開く。蝦夷(エゾ)を含む日本各地を踏査する一方,西欧事情を研究。開国・外国貿易・北防の急務を説いた。著「経世秘策」「西域物語」「経済総論」など。
きりの-としあき: 【桐野利秋】 (1838-1877) 幕末・維新期の志士・軍人。薩摩藩出身。初め中村半次郎と称す。戊辰(ボシン)戦争に従軍。新政府では陸軍少将。征韓論分裂により西郷隆盛とともに下野し,西南の役で戦死。
かわじとしあきら: 【川路聖謨】 (1801-1868) 江戸末期の幕臣。豊後の人。本姓,内藤。勘定奉行兼海防掛として外交に携わる。1853年長崎来航のロシア使節と交渉。また,日米修好通商条約勅許獲得に活躍した。江戸開城の翌日にピストル自殺。
かわじ-としあきら: カハヂ― 【川路聖謨】 (1801-1868) 江戸末期の幕臣。豊後の人。本姓,内藤。勘定奉行兼海防掛として外交に携わる。1853年長崎来航のロシア使節と交渉。また,日米修好通商条約勅許獲得に活躍した。江戸開城の翌日にピストル自殺。
きりのとしあき: 【桐野利秋】 (1838-1877) 幕末・維新期の志士・軍人。薩摩藩出身。初め中村半次郎と称す。戊辰(ボシン)戦争に従軍。新政府では陸軍少将。征韓論分裂により西郷隆盛とともに下野し,西南の役で戦死。
こしあき: 【腰明き】 「腰替(コシガ)わり」に同じ。
おとしあな: 【落(と)し穴】 (1)罠(ワナ)の一種。動物を落として捕らえるために掘った穴。おとし。 (2)人をだましておとしいれるための秘密の計画。謀略。策略。 「―にはまる」
おとしあみ: 【落(と)し網】 定置網の一。岸から張り出した垣網で誘導した魚群を,上り傾斜のついた登り網でさらに袋網上部の入り口へと導き,落ち込むようにしたもの。小台網・ひさご網など。
としあけ: 【年明け】 新しい年になること。新年。 「―を外国で迎える」「―早々の仕事」
ひとしあん: 【一思案】 ひとしきり考えをめぐらすこと。一分別。 「ここは―が必要だ」
ほんだ: 【本多】 姓氏の一。 ; 【本田】 姓氏の一。 ; 【本多・本田】 「本多髷(マゲ)」の略。 「髪は―に銀ぎせる/滑稽本・根南志具佐」
かとう-よしあき: 【加藤嘉明】 (1563-1631) 安土桃山時代の武将。初名,茂勝。通称,孫六・左馬助。三河の人。豊臣秀吉の臣。賤ヶ岳七本槍の一人。慶長の役の水軍の将。関ヶ原の戦いでは徳川方につき,会津四〇万石を領した。
にった-よしあき: 【新田義顕】 (?-1337) 南北朝時代の武将。義貞の長子。建武新政府のもとで越後守護。足利尊氏離反後,父とともに越前金ヶ崎城にこもったが落城して尊良親王とともに自刃。
みうら-よしあき: 【三浦義明】 (1092-1180) 平安末期の武士。相模三浦の人。大介と称す。頼朝の挙兵に応じたが平家方の畠山重忠に三浦衣笠城を包囲され,子の義澄らを脱出させて戦死。
もがみ-よしあき: 【最上義光】 (1546-1614) 安土桃山・江戸初期の大名。山形城を居城とし,上杉景勝・伊達政宗らと抗争。関ヶ原の合戦では結城秀康を援(タス)け景勝の兵と戦い,五七万石に加増された。