きりのとしあき 意味
- 【桐野利秋】
(1838-1877) 幕末・維新期の志士・軍人。薩摩藩出身。初め中村半次郎と称す。戊辰(ボシン)戦争に従軍。新政府では陸軍少将。征韓論分裂により西郷隆盛とともに下野し,西南の役で戦死。
関連用語
きりの-としあき: 【桐野利秋】 (1838-1877) 幕末・維新期の志士・軍人。薩摩藩出身。初め中村半次郎と称す。戊辰(ボシン)戦争に従軍。新政府では陸軍少将。征韓論分裂により西郷隆盛とともに下野し,西南の役で戦死。
しきりのとし: 【頻りの年】 ここ数年。近年。 「―より以来平氏王皇蔑如して政道にはばかる事なし/平家 5」
きりのと: 【桐の薹】 〔「きりのとう」の転〕 (1)模様・紋章の一。「九七桐」「五七桐」「五三桐」の総称。 (2)〔(1)の紋が刻印されていたところから〕 小判・一分金(イチブキン)など判金の異名。 「やり手までも光をかざる―をもらひ/浮世草子・一代男 7」
のこりのとし: 【残りの年】 高齢になって残されている年。老い先の短い年齢。余生。残年(ザンネン)。残りの齢(ヨワイ)。
ほんだ-としあき: 【本多利明】 (1744-1820) 江戸後期の経世家。越後の人。江戸に出て数学・天文学・蘭学・地理・航海術を修め私塾を開く。蝦夷(エゾ)を含む日本各地を踏査する一方,西欧事情を研究。開国・外国貿易・北防の急務を説いた。著「経世秘策」「西域物語」「経済総論」など。
かわじとしあきら: 【川路聖謨】 (1801-1868) 江戸末期の幕臣。豊後の人。本姓,内藤。勘定奉行兼海防掛として外交に携わる。1853年長崎来航のロシア使節と交渉。また,日米修好通商条約勅許獲得に活躍した。江戸開城の翌日にピストル自殺。
かわじ-としあきら: カハヂ― 【川路聖謨】 (1801-1868) 江戸末期の幕臣。豊後の人。本姓,内藤。勘定奉行兼海防掛として外交に携わる。1853年長崎来航のロシア使節と交渉。また,日米修好通商条約勅許獲得に活躍した。江戸開城の翌日にピストル自殺。
ほんだとしあき: 【本多利明】 (1744-1820) 江戸後期の経世家。越後の人。江戸に出て数学・天文学・蘭学・地理・航海術を修め私塾を開く。蝦夷(エゾ)を含む日本各地を踏査する一方,西欧事情を研究。開国・外国貿易・北防の急務を説いた。著「経世秘策」「西域物語」「経済総論」など。
ありのとう: 【蟻の塔】 「蟻塚(アリヅカ)」に同じ。﹝季﹞夏。
きりの: 【桐野】 姓氏の一。
こしあき: 【腰明き】 「腰替(コシガ)わり」に同じ。
あのとし: あの年齢
またのとし: 【又の年】 翌年。あくる年。
よいのとし: 【宵の年】 大晦日の夜。また,元日に前の年や年の暮れをさしていう語。 「―のせつなき事を忘れがたく/浮世草子・胸算用 5」
おとしあな: 【落(と)し穴】 (1)罠(ワナ)の一種。動物を落として捕らえるために掘った穴。おとし。 (2)人をだましておとしいれるための秘密の計画。謀略。策略。 「―にはまる」