かわじとしあきら 意味
- 【川路聖謨】
(1801-1868) 江戸末期の幕臣。豊後の人。本姓,内藤。勘定奉行兼海防掛として外交に携わる。1853年長崎来航のロシア使節と交渉。また,日米修好通商条約勅許獲得に活躍した。江戸開城の翌日にピストル自殺。
関連用語
かわじ-としあきら: カハヂ― 【川路聖謨】 (1801-1868) 江戸末期の幕臣。豊後の人。本姓,内藤。勘定奉行兼海防掛として外交に携わる。1853年長崎来航のロシア使節と交渉。また,日米修好通商条約勅許獲得に活躍した。江戸開城の翌日にピストル自殺。
かわじとしよし: 【川路利良】 (1836-1879) 警察制度の創立者。薩摩の人。警保寮を司法省から内務省に移し,司法権と警察権の分離を行なった。同年警視庁初代大警視。西南戦争では陸軍少将として警察隊を率い従軍。
きりの-としあき: 【桐野利秋】 (1838-1877) 幕末・維新期の志士・軍人。薩摩藩出身。初め中村半次郎と称す。戊辰(ボシン)戦争に従軍。新政府では陸軍少将。征韓論分裂により西郷隆盛とともに下野し,西南の役で戦死。
ほんだ-としあき: 【本多利明】 (1744-1820) 江戸後期の経世家。越後の人。江戸に出て数学・天文学・蘭学・地理・航海術を修め私塾を開く。蝦夷(エゾ)を含む日本各地を踏査する一方,西欧事情を研究。開国・外国貿易・北防の急務を説いた。著「経世秘策」「西域物語」「経済総論」など。
あしかが-よしあきら: 【足利義詮】 (1330-1367) 室町幕府二代将軍(在職 1358-1367)。尊氏の子。元弘の乱で新田義貞とともに鎌倉攻めに参加。尊氏の死後,1358年将軍となり,足利政権の基礎を固めた。
あとべよしあきら: 【跡部良顕】 (1658-1729) 江戸中期の神道家。江戸の人。幕臣。通称宮内,号は重舒斎・光海(テルミ)霊社。はじめ佐藤直方に学び,神道を排斥していたが,のち神儒合一論に転じた。編「垂加文集」「続垂加文集」
あとべ-よしあきら: 【跡部良顕】 (1658-1729) 江戸中期の神道家。江戸の人。幕臣。通称宮内,号は重舒斎・光海(テルミ)霊社。はじめ佐藤直方に学び,神道を排斥していたが,のち神儒合一論に転じた。編「垂加文集」「続垂加文集」
かわじ-としよし: カハヂ― 【川路利良】 (1836-1879) 警察制度の創立者。薩摩の人。警保寮を司法省から内務省に移し,司法権と警察権の分離を行なった。同年警視庁初代大警視。西南戦争では陸軍少将として警察隊を率い従軍。
きりのとしあき: 【桐野利秋】 (1838-1877) 幕末・維新期の志士・軍人。薩摩藩出身。初め中村半次郎と称す。戊辰(ボシン)戦争に従軍。新政府では陸軍少将。征韓論分裂により西郷隆盛とともに下野し,西南の役で戦死。
ほんだとしあき: 【本多利明】 (1744-1820) 江戸後期の経世家。越後の人。江戸に出て数学・天文学・蘭学・地理・航海術を修め私塾を開く。蝦夷(エゾ)を含む日本各地を踏査する一方,西欧事情を研究。開国・外国貿易・北防の急務を説いた。著「経世秘策」「西域物語」「経済総論」など。
あしかがよしあきら: 【足利義詮】 (1330-1367) 室町幕府二代将軍(在職 1358-1367)。尊氏の子。元弘の乱で新田義貞とともに鎌倉攻めに参加。尊氏の死後,1358年将軍となり,足利政権の基礎を固めた。
かわじ: 【川路】 川に沿った道。また,川へ向かう道。 「上野(カミツケノ)おどのたどりが―にも/万葉 3405」 ; 【川路】 姓氏の一。
あきらか: 【明らか】 (1)光があかるくて,物の様子がはっきりしているさま。あかるい。 「風のない―な空の下に/彼岸過迄(漱石)」 (2)事柄が,だれにもわかるようにはっきりしているさま。疑いをはさむ余地のないさま。明白なさま。 「事件の全貌が―になる」「―に彼の方が間違っている」「勝ち目のないことは―だ」 (3)晴れやかで,快活なさま。明朗。 「むつかしく物思し乱れず―にもてなし給ひて/源
あきらかな: おおやけの; はっきりした; わかりやすい
あきらけし: 【明らけし】 (1)あかるく澄んでいる。清らかだ。曇りがない。 「―・き鏡にあへば過ぎにしも今行末の事も見えけり/大鏡(後一条)」 (2)はっきりしている。明白である。 「―・く吾知ることを/万葉 3886」 (3)物事の道理がわかっている。賢明だ。 「かく末の世の―・き君として/源氏(若菜上)」