吉田健一 意味
- よしだけんいち
(1912-1977) 批評家,小説家。東京生まれ。吉田茂の長男。ケンブリッジ大中退。英文学の素養を生かした文芸批評で知られる。著「東西文学論」「ヨオロツパの世紀末」など。
- 吉田 よしだ (1)新潟県中央部,西蒲原郡の町。燕市の西隣に位置する。 (2)埼玉県西部,秩父郡の町。椋(ムク)神社は竜勢花火で知られる。 (3)静岡県南部,榛原(ハイバラ)郡の町。大井川河口西岸にあり,養鰻業を行う。牧ノ原では茶を産する。 (4)愛知県豊橋市の江戸時代の旧称。東海道五十三次の宿場町であった。 (5)広島県中央部,高田郡の町。毛利氏の郡山城跡がある。 (6)愛媛県南西部,
- 光田健輔 みつだけんすけ (1876-1964) 医学者。山口県生まれ。東京帝大医科大学卒。公立癩療養所全生病院でハンセン病の実態・予防法を研究。のち,長島愛生園園長となりハンセン病予防に一生を捧げた。
- 榎本健一 えのもとけんいち (1904-1970) 喜劇俳優。東京生まれ。通称をエノケン。映画・舞台で活躍した。
- 吉田屋 よしだや 人形浄瑠璃「夕霧阿波鳴渡」の上の巻。遊女夕霧と藤屋伊左衛門との恋愛場面が見せ場。現在は改作「廓文章」による上演が多い。
- 吉田山 よしだやま 京都市左京区南部の小丘。海抜103メートル。麓に京都大学・吉田神社がある。神楽岡(カグラオカ)。
- 吉田流 よしだりゅう (1)弓術の一派。祖は吉田上野介重賢(シゲカタ)。日置(ヘキ)流から分派したもの。 (2)鍼術(シンジユツ)の一派。出雲大社の祠官吉田意休が永禄年間(1558-1570)にはじめたもの。
- 吉田一穂 よしだいっすい (1898-1973) 詩人。北海道生まれ。本名は由雄。早大中退。浪漫的な詩風から,現実否定の反俗的な傾向を強くして,独自の形而上的な純粋詩を作る。詩集「海の聖母」「未来者」,散文詩集「故園の書」,詩論「黒潮回帰」など。
- 吉田五十八 よしだいそや (1894-1974) 建築家。東京生まれ。東京美術学校卒,東京芸大教授。数寄屋建築の近代化に貢献。代表作に梅原竜三郎邸・大阪文楽座・明治座・日本芸術院会館などがある。
- 吉田光由 よしだみつよし (1598-1672) 江戸初期の数学者。角倉了以と光由の祖父は従兄弟。和算の創始者。中国の「算法統宗」に基づきながら日本の説話などをとり入れた大衆数学書「塵劫記」を著す。
- 吉田兼倶 よしだかねとも (1435-1511) 室町時代の神道家。本姓は卜部(ウラベ)。吉田神社の神職。本地垂迹説に対して神主仏従説を唱え,陰陽五行説などを加えて吉田神道を大成。伊勢神宮から攻撃されたが,朝廷・幕府に取り入り,地方の神社に神位,神職に位階を授ける権限を獲得した。
- 吉田兼好 よしだけんこう (1283頃-1350頃) 鎌倉末期から南北朝初期の歌人・随筆作者。本姓は卜部(ウラベ)。慈遍の弟(一説に兄)。和歌を二条為世に学び二条派の和歌四天王と称せられ,「続千載集」以下の勅撰和歌集に一六首入集。その著「徒然草」は「枕草子」と並ぶ随筆文学の傑作。兼好法師。
- 吉田司家 よしだつかさけ 相撲の家元。熊本の行司吉田追風(オイカゼ)が,1789年谷風・小野川両力士に横綱土俵入りを免許,これを機に全国に数家あった相撲故実を伝える行司の家と相撲集団を支配したのに始まる。行司・力士免許の授与を行なってきたが,1951年(昭和26)以後,日本相撲協会に権限を譲り形式的存在となった。
- 吉田奈良丸 よしだならまる (二世)(1880-1967) 明治・大正の浪曲師。奈良県生まれ。本名は広橋宏吉。レコードにより全国を風靡(フウビ)。得意の義士伝の一節は「奈良丸くずし」と呼ばれて評判をとり,京都に大石神社を建てた。
- 吉田定房 よしださだふさ (1274-1338) 鎌倉後期・南北朝時代の廷臣。後醍醐天皇の討幕計画を幕府に密告したが,天皇の信任厚く,建武新政府に重きをなした。南北分裂後は初め北朝,のち南朝方。日記「吉槐記」がある。