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和泉式部日記 意味

読み方:
"和泉式部日記"の例文

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  • いずみしきぶにっき
    日記。一巻。和泉式部作とされるが後人説もある。1008年頃成立か。敦道(アツミチ)親王との恋愛生活をつづったもの。物語的構想で統一されている。和泉式部物語。

  • 和泉式部    いずみしきぶ 平安中期の女流歌人。大江雅致(マサムネ)の女(ムスメ)。和泉守橘道貞と結婚,小式部内侍を生む。冷泉院の皇子為尊(タメタカ)親王(977-1002)・敦道(アツミチ)親王(981-1007)の寵(チヨウ)を受け,両親王薨御(コウギヨ)後は,一条天皇中宮彰子に出仕。のち,藤原保昌(958-1036)と再婚,夫の任地で没。恋の哀歓を直截(チヨクセツ)に詠んだ女性として名高い。生没年未
  • 紫式部日記    むらさきしきぶにっき 日記。二巻。紫式部作。1010年頃成立。一条天皇中宮彰子の出産を中心とした作者の身辺記で,日記的部分と消息文的部分から成る。著者の内面生活をうかがわせる表白,同時代の女流作家の批評などを含む。文学作品としてのみならず,史料としても貴重。
  • 紫式部日記絵巻    むらさきしきぶにっきえまき 絵巻物。鎌倉中期の作。「紫式部日記」を絵画化し,詞(コトバ)を添えたもの。絵二四段と詞二四段が残る。筆者未詳。紙本着色。
  • 和泉    いずみ (1)旧国名の一。大阪府南部に相当。五畿内の一。泉州(センシユウ)。 (2)大阪府南部の市。和泉国の国府がおかれた地。既製服・織物工業などが発達。信太(シノダ)の森がある。
  • 式部    しきぶ ② (1)「式部省」の略。 (2)明治初期の太政官制で,式部局(のち式部寮と改称)に属し,儀式をつかさどった官。 (3)女官の呼び名。紫式部・和泉式部など。 (4)〔(3)から〕 女房のこと。 「子産まぬ―の老いの果て/梁塵秘抄」
  • 日記    にき 〔「にっき」の促音「つ」の無表記〕 日記。 「男もすなる―といふものを/土左」 ; にっき ◎ (1)日々の出来事や感想などを一日ごとに日付を添えて,当日またはそれに近い時点で記した記録。古くは「御堂関白記」「玉葉」「明月記」などが著名だが,職掌上交替で書き継がれた「御湯殿上日記」などもある。日誌。にき。 →日記文学 (2)「日記帳」の略。 ――買う 年末に来年の日
  • 和泉流    いずみりゅう 狂言流派の一。慶長(1596-1615)の頃,山脇和泉守元宣(モトヨシ)が尾張徳川家に仕えて始めたといわれる。宗家のほかに野村又三郎家・野村万蔵家・三宅藤九郎家がある。
  • 和泉石    いずみいし ③ 大阪府泉南郡阪南町付近より産する緑灰色の砂岩。石質は硬く,石材とする。 →和泉砂岩
  • 式部卿    しきぶきょう ③◎ 律令制で,式部省の長官。正四位下。平安以後,親王が任じられた。
  • 式部官    しきぶかん ③ もと,宮内省の式部職の職員。祭典・儀式などをつかさどった。
  • 式部寮    しきぶりょう ③ 1872年(明治5)式部局を改称したもの。式部職の前身。
  • 式部局    しきぶきょく ③ 1871年(明治4)設置された太政官の一局。儀式・図書の事務をつかさどった。翌年式部寮と改称。
  • 式部省    しきぶしょう ③ 律令制で,八省の一。左弁官に属し,礼式および文官の人事全般をつかさどり,大学寮・散位寮を管轄した。式部。のりのつかさ。のんのつかさ。 ; のりのつかさ ⇒しきぶしょう(式部省)
  • 式部節    しきぶぶし ◎ 古浄瑠璃の一。貞享・元禄(1684-1704)頃,江戸の広瀬式部太夫の始めたもの。典雅な曲風で,河東節に影響を与えた。
  • 式部職    しきぶしょく ③ (1)宮内省の一部局。1884年(明治17)式部寮を改称して設置。宮中の祭典・礼式・交際・雅楽などをつかさどる。 (2)宮内庁の一部局。皇室の儀式・交際・翻訳・狩猟・雅楽のことにあたる。

例文

  • 和泉式部日記:和泉式部が自らの恋愛について綴った日記。
  • この「和泉式部日記」は、文学に関連した書きかけ項目です。
  • 例えば、『土佐日記』『紫式部日記』『和泉式部日記』などがその代表例である。
  • 『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』などの作品にも影響を及ぼした可能性は高い。
  • 和泉式部日記(いずみしきぶにっき)は和泉式部によって記された日記であり、女流日記文学の代表的作品である。
  • この頃『和泉式部日記』や上田秋成などの古典、イェーツなどを濫読し、保田與重郎を批判的に見るようになった。
  • 敦道親王との恋の顛末を記した物語風の日記『和泉式部日記』があるが、これは彼女本人の作であるかどうかが疑わしい。
  • 冒頭部分は自伝性が強い物語風の記述となっており、のちの『和泉式部日記』などに代表される女流日記文学に先駆けた内容となっている。