朴泳孝 意味
- ぼくえいこう
(1861-1939) 朝鮮,李朝末期の政治家。独立党に属し事大党と対立。1884年甲申政変に失敗し日本に亡命。94年日清戦争開戦時,内務大臣となる。韓国併合後,日本の貴族院議員・侯爵。パク=ヨンヒョ。
- 朴歯 ほおば ◎① ホオノキでつくった下駄の歯。また,その歯を入れた下駄。
- 朴烈事件 ぼくれつじけん 1923年(大正12)大逆罪の容疑者として逮捕された在日朝鮮人朴烈(1902-1974)とその妻金子文子の獄中における取り扱いをめぐり惹起された一連の事件。死刑判決が26年4月内閣の奏請により無期に減刑され,取り調べ中の両人の怪写真が諸方に配付されるや,事件は野党による内閣攻撃の手段として用いられ,数か月にわたり紛糾が続いた。
- 朴柏 ほおがしわ ホオノキの異名。 「我が背子が捧げて持てる―/万葉 4204」
- 朴直 樸直
- 朴訥 朴とつ; 木訥
- 朴念仁 ぼくねんじん ③⑤ 無口で愛想のない人。ものわかりの悪い人。 「頑固(カタクナ)で―で実務には役に立たぬ男である/社会百面相(魯庵)」
- 朴訥な 木訥な
例文
- この「朴泳孝」は歴史に関連した書きかけ項目です。
- 1872年4月朴泳孝と結婚したが、同年7月4日に亡くなった。
- 1935年、朝鮮貴族朴泳孝侯爵の孫娘である朴賛珠と結婚する。
- 済物浦条約の規定に従い謝罪の使節として朴泳孝らが派遣された。
- 妃は朴泳孝侯爵(朝鮮貴族)の孫の朴賛珠(ぼく さんしゅ)である。
- なお選挙を要しない貴族院では、勅撰議員として朝鮮人の朴泳孝が議員に選出された。
- 1883年朴泳孝ら開化派が発行した「漢城旬報」に井上は翻訳、編集指導として関わった。
- 墓碑には朴泳孝の撰文、興宣大院君の孫である李呵O(イ・ジュンヨン)の書で以下が刻まれている。
- 左:日本の日刊新聞『時事新報』1882年10月2日 朴泳孝ら使節団が日本で使ったものを報道。
- 左:日本の日刊新聞『時事新報』1882年10月2日 朴泳孝ら使節団が日本で使ったものを報道。